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むつきさっち

Author:むつきさっち
野良学者やってます。
読んだ本とか研究用のメモを置いていきます。
きまぐれなので分野はあっちこっちにいく予定。
とりあえず哲学とか生物学あたりから書いていきます。

20/7/2:カテゴリでの表示順を古い順に変更しました。それに伴いカテゴリの最初のページ下に、各メモ先頭のリンクを貼りました。

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斎藤環、與那覇潤著『心を病んだらいけないの?うつ病社会の処方箋』第一章メモ1
与那覇潤によるまえがきに続いて、第一章に入ります。
対談集のメモをどうやってとっていこうかなと思っていてるのだけど、とりあえず気になったセリフを拾い上げていくのと、あいまにちょっとした話の要約を入れてみることにします。
メモの取り方はまた変えるかもしれません。

第一章 友達っていないといけないの? --- ヤンキー論争その後

まず斎藤のヤンキー論、ヤンキーのエートスでは「いま、この瞬間に気持ちよくなれるか」を最優先するので、結果、社会の空気が極端に揺れ動くという話が確認されます。
その構図をまさに教壇で、與那覇が体験することになったそうです。
與那覇「靖国問題であれ教科書問題であれ、教師の仕事は「こういう経緯があって、賛否両派ともにそれぞれの歴史を背負って、いま争いあう場所にいるのだ」ということだと思っていました。」
すごい重要なことを言っていると思います。
なぜそういう主張になるのか、さっぱりわからない場合はたくさんあります。
でもそういう主張をする人にも、そう主張する個人的歴史的背景があるはずです。
相手と対話をしたいのであれば、その主張の背景にまで思考を巡らせなくてはなりません。

與那覇「大学が「ヤンキーに媚を売る施設」になってゆく過程を日々目撃していたのですが、その後そうした事態を象徴する事件に遭遇して病気になり、最終的に離職して、彼らのようなダメなインテリとは縁を切りました。」
直前と逆になってますが、この二つの態度、つまり相手を人間として尊重することと、どうにも耐えられないときは人間関係を切断してしまうこと、これらが人間関係の基盤になると思います。

続けて與那覇は、歴史を生きていることが人を傷つけることがあるのではないか、と述べています。
右肩下がりの時代が来るのをわかっているのに、過去を引きずっていたら、とても耐えられないと。
與那覇「いまの時代に「歴史なんて関係ねぇ! 俺にとって価値があるのは「この瞬間」だけだぜ!」という姿勢で生きる人を、たんに反知性主義だとしてバカにしていればよいのか。もしかしたらそれは、なんとかうつ状態に陥らずに社会全体のディスプレッションを生き延びるための予防的な対応なのかもしれないと、ふと感じるようになったのです。」
これももっともなことに思えます。
だとするとやはり、これからよくなるのではないかという何かしらの希望が必要ということでしょう。

ここからは斎藤のフェストゥムの三分法の説明、イントゥラ・フェストゥム的なヤンキーのメンタリティ、安倍政権の特徴の、良くも悪くも「時間が止まっている」感覚を国民に与えているということの説明が続きます。
それから斎藤のヤンキー論は、丸山眞男の「つぎつぎになりゆくいきほひ(勢い)」、今-今-今-今…と今だけが連なって成立している時間感覚をもとにしているようです。
さらに古市憲寿の『絶望の国の幸福な若者たち』、つまり将来の不安と現在の幸福感の両立も、ヤンキー化との関連が疑われています。
アベノミクスと関係があるかどうかは置いといて、表面的な内定率は高いことから、若い世代からの支持率が高いです。
(あるはずだった)ビッグイベントが安倍政権だから実現したわけではないんですが、もはや総理大臣は原始社会のシャーマンのような存在なのではないかと続いています。
與那覇「日本人にとっての総理大臣って、もう「政治家」ではないんじゃないですか。原始社会のシャーマンは、たまたまタイミングよく雨が降ってくれれば生き神のように慕われ、降らなかったら戦犯扱いで殺されますが、「所属する社会のトップ」がそれに近い存在に戻っているように見える。」
斎藤「私から見ても、まさしく安倍政権は空っぽのお神輿のような気がするのですが、だからこそお祭りをこよなく愛するヤンキーから支持されているように思います。」
なるほど、納得です。
ただ個人的にはヤンキー化は全体的にはそれほど進んでなくて、ヤンキー化が大きく進んだのは政権とかの一部ではないかという気もします。
スクールカーストの頂点にいるヤンキーへの従属が、学校を離れた後でも続いている人が増えているので、ヤンキーが増えたように見えている、とも思えます。
<<まえがき   第一章-2>>


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精神医学 | 14:14:00 | コメント(0)
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