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むつきさっち

Author:むつきさっち
野良学者やってます。
読んだ本とか研究用のメモを置いていきます。
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稲葉振一郎「経済学という教養」第5章メモ1
4章は構造改革主義についてでした。
それに対して左翼も同調する場合がわりと多かったらしいです。
ちなみにこの本で言われる左翼は、革新派のことではなく、マルクス主義者のことです。
5章は、日本のマルクス主義者の構造改革主義に対する応答と、その考え方についてです。

5章 左翼のはまった罠

5-1 ケインズ主義へのアンビバレンツ

1節の最後にまとめがあるので、先にそこのメモをとります。
構造改革主義は実物的ケインジアンの枠組みを用いての反ケインズ政策論です。
それに対し左翼(マルクス主義者)は実物的ケインジアンの枠組みを用いてのケインズ政策論です。
どちらも実物的ケインジアンで反ケインズ政策とケインズ政策で分かれますが、実物的ケインジアンなら反ケインズ政策の方が合理的に見えます。
もう一つの立場、「景気優先論」は別の枠組み、貨幣的ケインジアンの思考法にのっとってのケインズ政策です。
マルクス主義者(左翼と書いてあるのをここからこっちに言い換えます)は貨幣的ケインジアンの立場をとってもよさげなのに、そうしないのはなぜか、という主題でこの章が展開されていくみたいです。

具体的にはじめから見てみます。
構造改革主義は、かつては日本型経済システムには合理性があったが、現在はそぐわないので別のシステム構造に変換しよう、というものです。
彼らの理論構成は実物的ケインジアンで、政策はなぜか市場原理主義とほとんどかわらないそうです。
日本のマルクス主義者は「新自由主義」(市場原理主義)には一致して反対したのに、「構造改革主義」には意見が一致しないそうです。

その理由はマルクス主義者がケインジアンに対してもともと批判的だったからみたいです。
マルクス主義者なら貨幣の物神性を重視する貨幣的ケインジアンでもおかしくない気はするんですが、どうもそうではないらしいです。
とはいえ消極的にケインズ政策支持だったらしく、ヨーロッパの社会民主主義の場合は積極的に支持する立場に変わって、日本は変わらずとのことです。
80年代はケインズ政策が効かなくて、ケインジアンの威信が低下する時代です。
マルクス主義者からすればケインジアンもダメで、いよいよ資本主義の終わりが見えてきた、ということみたいです。
もちろん資本主義に変わるシステムが見つからないので、マルクス主義者も困るはずなのですが。

マルクス主義者も市場経済を捨てられないので、市場という制度を経済の基本に置きつつ、政府などの介入によって補完するという立場に落ち着きます。
そうすると構造改革主義とマルクス主義者の間にあまり差はないのですが、構造改革主義が政府などの介入をやめるべきとするのに対し、マルクス主義者はある程度政府の介入を必要と考える点で、違いが生じているようです。

「構造改革主義」と対立するのは「景気優先論」で、実物的ケインジアンと貨幣的ケインジアンの対立とほぼ一致するようです。
マルクス主義者は「景気優先論」には与さずに、構造改革主義と似た政策を主張するわけですが、本心からではないにしてもケインズ主義的福祉国家の方を擁護するはずがそうしないのはなぜか、という疑問が生じます。
これについては次節以降でということになります。

ところで今回の内容と直接関係ないんですが、貨幣の物神性がそれだけ強いのなら、ケインズ政策をとったところで、物神性は減退しない気もするし、場合によっては強化するなんてこともあり得ると思うのですが、そういう可能性は考えられていないんでしょうか。
貨幣の物神性を肯定する反ケインズ政策の立場もあり得ると思います。
本の後半で言及されるかもしれないので、この話はここまでにします。
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社会システム論 | 12:35:00 | コメント(0)